腱鞘炎!続編2
カテゴリー:ひとりごと
今日は、1月17日
この日付はやはり私は一生忘れることはないでしょう
阪神・淡路大震災
私の生まれ育った町です
その日、私は大阪で暮らしていましたが、両親は神戸市東灘区在住
私の母方の祖父母は、淡路の震源地近くの一宮町郡家という町です。
祖父母はこの震災を知らずに旅立っていましたので
淡路には幸い誰も住んでいませんが、祖父母の住んでいた家はありました。
淡路の祖父母の家は全壊
誰も住んでいなくて良かったです
この日のことは、今でも鮮明に覚えていて自分も激しい揺れに
いったい何が起きたのかさえわかりませんでした
am8時頃にテレビで流れた
阪神高速道路横倒しの映像を見て驚き、血の気が引き
両親の安否を確認できるまでは、生きたここちはしませんでした
あれから15年・・・もう15年も過ぎたのかという思いとあっという間の15年かあという思いと
この15年 私も色んなことがあったなあ・・と思う思いとしみじみいろんなことを
思いださせてくれる日です。
ということで前回のブログの続きですが
兵庫医科大学にいく頃には、右手の痛みは日常生活にも支障をきたすまでになっていました
右手が使えないことがこんなにも不便で生活に支障をきたすとは
一人暮らしのためちょっとしたことがホント困りました。
字が書けない・・料理ができない、洗い物ができない・・
もちろんピアノ・エレクトーンは弾けない
左手だけ生活を体験したことにより
より五体満足のありがたさを感じました
大学病院で診察を受け先生の診断は ドケルバン病という
聞いたこともない病名でした。
腱鞘炎の一種には間違いなかったのですが
手首から指先にかけての神経が圧迫され
指先の痺れ
も起きかなりひどい状態になっていました。
先生からのお言葉・・
「痛みが治療でマシになったとしても、また痛みは起きるよ。
君の場合、職業的に再発する可能性も高いし手術するのが良いよ」
と軽く言われてしましたした
そう言われても「ハイ
そうですか
手術お願いします
」
とはとても言えませんでした。
そこからまた私の苦悩が始まりました
手術をするべきか、いなか、
今でこそ回復し右手も戻ったので言えることですが
その時は、ホント落ち込みました。
すごい不安に襲われたのは「このまま痛みが取れなく一生鍵盤が弾けなくなったらどうしよう
廃業するしかない
」
何とか手術をせずに回復する方法はないものかと・・
ちょうどそのころ6月でウエディングの仕事の予定も入っていて
さすがにこれでは演奏できないと
生徒に仕事を振ったりしていましたが、
ある日曜日の仕事の2~3日前にその生徒から連絡が入り
「先生、熱が出て仕事いけそうにありません・・」という非情な連絡
仕事に穴をあけるわけに行かず
大学病院の先生に
「鍵盤を弾く仕事に行かなくては行けないので痛みを止めてほしい・・」
と事情を説明し手首に痛み止めのステロイド注射
を打ってもらいました。
なんと
驚くことに痛みがなくなりました・・しかし、先生には1週間もたないよ。と
でも、この注射のお陰で無事仕事を終えることができたのです

演奏できたのは奇跡というか薬は怖いというかありがたいというか
とにかく何でもいいや。無事仕事を終えることができて・・と思いました
しかし、この仕事をさかいに・・
手術を決断するしかない方向に進んでいきました
いやあ。回復までまだ先はなが~い道のり

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この日付はやはり私は一生忘れることはないでしょう

阪神・淡路大震災

私の生まれ育った町です

その日、私は大阪で暮らしていましたが、両親は神戸市東灘区在住
私の母方の祖父母は、淡路の震源地近くの一宮町郡家という町です。
祖父母はこの震災を知らずに旅立っていましたので
淡路には幸い誰も住んでいませんが、祖父母の住んでいた家はありました。
淡路の祖父母の家は全壊


この日のことは、今でも鮮明に覚えていて自分も激しい揺れに
いったい何が起きたのかさえわかりませんでした

am8時頃にテレビで流れた
阪神高速道路横倒しの映像を見て驚き、血の気が引き
両親の安否を確認できるまでは、生きたここちはしませんでした

あれから15年・・・もう15年も過ぎたのかという思いとあっという間の15年かあという思いと
この15年 私も色んなことがあったなあ・・と思う思いとしみじみいろんなことを
思いださせてくれる日です。
ということで前回のブログの続きですが
兵庫医科大学にいく頃には、右手の痛みは日常生活にも支障をきたすまでになっていました

右手が使えないことがこんなにも不便で生活に支障をきたすとは

一人暮らしのためちょっとしたことがホント困りました。
字が書けない・・料理ができない、洗い物ができない・・
もちろんピアノ・エレクトーンは弾けない

左手だけ生活を体験したことにより
より五体満足のありがたさを感じました

大学病院で診察を受け先生の診断は ドケルバン病という
聞いたこともない病名でした。
腱鞘炎の一種には間違いなかったのですが
手首から指先にかけての神経が圧迫され
指先の痺れ

先生からのお言葉・・
「痛みが治療でマシになったとしても、また痛みは起きるよ。
君の場合、職業的に再発する可能性も高いし手術するのが良いよ」
と軽く言われてしましたした

そう言われても「ハイ



とはとても言えませんでした。
そこからまた私の苦悩が始まりました

手術をするべきか、いなか、
今でこそ回復し右手も戻ったので言えることですが
その時は、ホント落ち込みました。
すごい不安に襲われたのは「このまま痛みが取れなく一生鍵盤が弾けなくなったらどうしよう

廃業するしかない


何とか手術をせずに回復する方法はないものかと・・

ちょうどそのころ6月でウエディングの仕事の予定も入っていて
さすがにこれでは演奏できないと
生徒に仕事を振ったりしていましたが、
ある日曜日の仕事の2~3日前にその生徒から連絡が入り
「先生、熱が出て仕事いけそうにありません・・」という非情な連絡

仕事に穴をあけるわけに行かず
大学病院の先生に
「鍵盤を弾く仕事に行かなくては行けないので痛みを止めてほしい・・」
と事情を説明し手首に痛み止めのステロイド注射

なんと


でも、この注射のお陰で無事仕事を終えることができたのです


演奏できたのは奇跡というか薬は怖いというかありがたいというか
とにかく何でもいいや。無事仕事を終えることができて・・と思いました

しかし、この仕事をさかいに・・
手術を決断するしかない方向に進んでいきました

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